『これまでの生い立ちとわたしの思い』


山口県に生まれる。

小さい頃は絵を描いたりピアノを弾いたり何か工作したりすることが好きで、自然と動物がだいすきな少女だった。

親は6歳の頃離婚して母が出て行き、祖母に育てられた。

10代の頃から自分は何のために生まれてきたのか、何のために生きるのか。生きるとは何か、死ぬとは何か、、そんなことばかり考えてきた。

いつも自由を求めていた私は正社員になることも結婚することもしないと決めていて、学生時代の友達の中ではいつも浮いた考えや生き方をしていたかもしれない。

 

高校を卒業してからなんだか憧れを持っていた役者を目指して東京に行った。

様々なアルバイトをしながらモデルや役者の仕事をしつつも、中々上手くいかなかった。

20代は本当に苦しかった。

純粋な気持ちで夢を追えない世界に絶望し、気がつけば見た目を着飾り、お金があれば幸せになれると思い、物質世界にどっぷり生きる人間になっていた。

夜遅くまで起きて、遊んで。いくら着飾っても欲しいモノを手にいれても心は満たされなかった

都会に出て夢も幸せも掴めると思って6年、結局何も手に入らなかった。それどころか『ホントの自分』からかけ離れていった私は気がつけば身体も心も病んでいった。

生きていることに虚しさを感じて死を考えたことも沢山あった。

そんな私を見て心配した親に山口県に連れ戻され、わたしは暫く暗闇の中にいた。

社会で働くことも出来なくなって、誰とも会うこともなくなって家に閉じこもっていた。

夢も奪われ生きている意味なんかない。消えてしまいたいと思っていた。

死にたいと思うのに死ぬこともできず、なんでこの世界に私は生まれてきて、なんのために生きていかなきゃいけないのかずっと自問自答していた。

それでも朝は繰り返しやってくる。

 

そしてあるとき、わたしは親との喧嘩を機に家を飛び出して何故か導かれるように山梨県の八ヶ岳に行った。そこで色々不思議な体験や出会いがあり『本当の自分』を見つけ出す旅が始まった。

旅を終え山口県に帰ってきてから自分の内にある伝えたい思いが何故か次々と溢れ出てきて、それが物語となって出てきたのが小説『へレムとサム』である。

それに続いて『ダーマ』『無言の男』と本を書きはじめた。

書いた本に音楽をつけたい!と歌詞を書き始め、3歳から習っていたピアノを再開しギターの練習も始めた。

朝から晩まで指に豆ができるまで毎日練習し続けた。再開したバイトの休憩時間も夜中も作品創りと楽器や歌の練習に全て注いだ。

役者にはなれなかったけど、やっぱりわたしは表現することやアートが好きだ。

作品を創っているとき、楽器や歌を唄っているとき、詩や絵を描いているとき、魂が震えるほど喜んでいる自分に気がついた。

わたしの『生きる』というロウソクに火がついたのである。

 

そして山口に帰ってきてから自然に触れることが多くなった。

毎日自然の中を歩き、山に登ったり川にはいったり、木に触れたり花を生けたり。

自然に触れると本来の自分に還れることに気がついた。何より癒される。。

そして食べものも日用品も身の回りのものも自然に近いもの、自然に還るものに変えていった。

太陽と共に起き、太陽が沈むと共に寝る。

季節の旬の野菜をいただく。

全て必要なぶんだけ頂き、なるべくデジタルからは離れ、身体にも心にも取り込みすぎないこと。

自然に沿った生き方をする。

自然と共に生きること、当たり前の生活を丁寧にちゃんとして生きることが心の豊かさに繋がるのだと気がついた。

今の世の中はモノも沢山あって便利で豊かなはずなのに、何故みんなこんなに苦しんでいるのだろう..と不思議に思っていたけど、それは人間世界が自然からかけ離れ『不自然』になっているからだと気づいた。豊かさや幸せはお金では手に入らない。

名声や権力でもない。

本来の自分を生きることが出来たとき、人と繋がったとき、誰かに何かを与えられた時に人は満たされるのではないかと思った

本来の自分を取り戻すには、自然に沿った生き方や暮らしが必要だと感じた。

 

30代に入り山口に帰ってきてからも苦しいことは沢山あった。家族のこと、恋愛、仕事、、毎日泣いて悩み苦しんだ。両親の死、祖母の死、大切な相棒の猫の死、たくさんの死も経験した。生きることは何でこんなに苦しいのだろう..と。

でもそんな時自分を支えてくれたのはやはりアートだった。

最初は自分のために好きで始めた音楽や絵や詩や作品創りだったが、気がつけば誰かのためにしたいという気持ちに変わっていった。

いつも孤独を感じていたわたしを救ってくれたのは本や音楽という出会いだったから、今度はわたしがギブできる存在になりたいと、同じように苦しんでいる誰かの傷を癒したいと心から思った。

 

そしてわたしは自然に沿った生き方を続けていく中で、当たり前にある当たり前じゃない存在の有り難さに気がついた。

太陽がなければ、月がなければ生命は存在できないということ。

小さな虫、動物たち、植物、その働きがなければ人間は生きられない。

命とあらゆる時代を紡いでくれたご先祖さま、先人たち。

今日も様々な場所で働いてくれている世界中の人たち。水もモノも細胞だって全て。。

そのどれかが欠けるだけでわたしの命も世界も成り立たないのだ。

それらがあるから自分は生かさせてもらえているということを思い出し、本当の意味での感謝を毎日感じるようになった。

今は人間の都合で簡単に自然や動物や虫を排除してしまう世界になってしまっている。

そのことを今を生きている人たちにもう一度思い出してほしくて作品を創っているのもある。

 

自分のアートで人を救えるなんて思っていない。 でも少しでも誰かの苦しみが楽になったり、心がほっと安らいだり、生きる希望がもてたら嬉しいなって思っている。

つらい気持ち、分かるよ。

ひとりじゃないから大丈夫だよって伝えたい。

そして人間の心が豊かになって幸せを感じられたら、人間はもっと自然たちや動物たちにも目が向くんじゃないかと思って。

自然や動物はいつも静かに人間にギブしてくれている。

人間も自然や動物たちにギブできたら、もっと素敵な世界になるんじゃないかと思っている。

人も自然も動物も豊かになること。幸せであること。与え合うこと(ギブ&ギブ)で循環する世界..

それがわたしの一番の祈りであって、夢であって、アートや表現をする目的である。

生きている意味とも言えるかもしれない。

 

そんなわたしも今は結婚して一児の母親になり、妊娠や出産を通して改めて生まれてくること生きていること、この一瞬一瞬が奇跡なのだということを感じている。

みな誰もがかわいい赤ちゃんだった。

だから本当の悪の存在なんかこの世界には居ないと思っている。

わたしの中にも自然の中にも皆の中にも全てのものの中に美しさも闇もある。

わたしも完璧な人間ではなく苦しみ悩み、誰かを傷つけ、学び続ける人生の旅の途中、、

人生は自分の中に埋もれてしまった宝物を見つけ出す旅のようなものだと思っている。

そんな『ただの人間』のわたしが創った作品たちがこの世界の暗闇に少しでも明かりを灯せたら嬉しく思う。

 

Yuko Horie